今年きた女性からの年賀状のなかに感慨深いものが2通あった。1通は、バツ1だったTさん(当時31歳)からだった。スタイルのよい美人で、小学校にあがったばかりの男の子が一人いた。8年前のこと、旦那の暴力と浮気に悩み、とうとう離婚して、実家の近くのアパートで男の子と生活をはじめた。その年の10月から私の会社にパートで勤めはじめた。私の下ではたらくことになって、やがて、子どもとも一緒に遊ぶようになりスキーなどにつれていくようになり、彼女のアパートにもあがるようになった。子どもの冬休みが終わって、会社も休みで、子どもが学校へ行っている間にとうとう、肉体関係をもった。彼女は巨乳で黒いセーターがもっくりもりあがっていた。それを脱がしていくと彼女は、意外とあそこは毛深く、濡れ濡れだった。騎乗位で下からつきあげるともう、頭を振り乱し、ああっ、ああっと淫乱なよがり声を出す。テレビのボリュームを大きくしていたが、隣に聞こえないか、ひやひやだった。騎乗位で豊かな胸がぷるんぷるん揺れ、行く時に、口を半開きにしてあえぎ、鎖骨のくぼみが深くなるのがエロチックだった。秘密の関係が3月まで続いたが、突然、別れた夫が復縁を言ってきた。最初は断っていたのだが、子どもももとの友達に出会えることもあり4月からもとのさやにもどっていった。が、2年後にまた別れたとの風の便りを聞いていた。8年ぶりの年賀状には、やっと、いい人が見つかって再婚しましたとあった。おめでとうとの年賀状を出した。もう1通は、Nさん(当時22歳)からだった。Tさんといれかわりに入社してきた新入社員の彼女は何事にも消極的で失敗ばかりしていた。私もかなり厳しく叱った。ロッカーの蔭で泣いている彼女を見ても、泣いてる暇があったら書類一つでも書けと叱った。夏になりようやく仕事を覚えた彼女を上手に出来た時はほめるようにした。笑顔がでてきた。秋になった。社内テニス大会があった。偶然、彼女とペアになった。彼女はテニスは素人だったが、バトミントンをしていたので勘はよかった。前衛において、ボレーだけをねらわせた。運良く優勝した。祝勝会の夜、みんなでしこたま飲んで、カラオケ終えて、いつのまにか二人だけになった。歩いていくとラブホがあった。酔った勢いもあってはいろうかというと意外にも頷いた。裸にすると白い肌だったが胸は貧乳だった。毛も薄かった。前戯であそこを指でさぐると、いつもと違う感覚だった。なんと処女だった。いざ、いれようとすると、酔っていたのと処女への責任感で萎えたままで、あせればあせるほどだめだった。惨めな気持で、その夜はタクシーに彼女を乗せて帰した。会社ではそしらぬ顔をしていた彼女とあった。冬になった。スキー大会があった。事前に彼女を指導した。早めにコーチをおえて、ラブホのそばを通ってはいろうかというと頷いた。今度はうまくいった。痛がったがけなげに耐えた。血も出た。それからは二人でスキーにでかけては、帰りにラブホへ寄った。半年ほどたった夏のある日、彼女のロッカーに落書きがあった。私と彼女との相合い傘だった。どうやら、ラブホへの入りを社の女性のだれかに見られたらしい。女の陰湿ないじめがはじまった。彼女への無言電話もあったらしい。たちまち彼女の顔から笑顔が消えた。不倫の罪悪感といじめで、とうとう神経症になって、出社できなくなった。療養をつづけていたが、やがて、退社していった。それ以来、便りが途絶えていたのだった。3月に姓が変わりますというものだった。その前に逢いたいとの添え書きがあった。でも逢わないほうがいいように思ってる。3日は22歳の女子大生、4日は26歳の若妻と姫はじめをして今日から真面目に仕事はじめだった。
今年きた女性からの年賀状のなかに感慨深いものが2通あった。
1通は、バツ1だったTさん(当時31歳)からだった。
スタイルのよい美人で、小学校にあがったばかりの男の子が一人いた。
8年前のこと、旦那の暴力と浮気に悩み、とうとう離婚して、実家の近くのアパートで男の子と生活をはじめた。
その年の10月から私の会社にパートで勤めはじめた。
私の下ではたらくことになって、やがて、子どもとも一緒に遊ぶようになりスキーなどにつれていくようになり、彼女のアパートにもあがるようになった。
子どもの冬休みが終わって、会社も休みで、子どもが学校へ行っている間にとうとう、肉体関係をもった。
彼女は巨乳で黒いセーターがもっくりもりあがっていた。
それを脱がしていくと彼女は、意外とあそこは毛深く、濡れ濡れだった。
騎乗位で下からつきあげるともう、頭を振り乱し、ああっ、ああっと淫乱なよがり声を出す。
テレビのボリュームを大きくしていたが、隣に聞こえないか、ひやひやだった。
騎乗位で豊かな胸がぷるんぷるん揺れ、行く時に、口を半開きにしてあえぎ、鎖骨のくぼみが深くなるのがエロチックだった。
秘密の関係が3月まで続いたが、突然、別れた夫が復縁を言ってきた。
最初は断っていたのだが、子どもももとの友達に出会えることもあり4月からもとのさやにもどっていった。
が、2年後にまた別れたとの風の便りを聞いていた。
8年ぶりの年賀状には、やっと、いい人が見つかって再婚しましたとあった。
おめでとうとの年賀状を出した。
もう1通は、Nさん(当時22歳)からだった。
Tさんといれかわりに入社してきた新入社員の彼女は何事にも消極的で失敗ばかりしていた。
私もかなり厳しく叱った。
ロッカーの蔭で泣いている彼女を見ても、泣いてる暇があったら書類一つでも書けと叱った。
夏になりようやく仕事を覚えた彼女を上手に出来た時はほめるようにした。
笑顔がでてきた。
秋になった。
社内テニス大会があった。
偶然、彼女とペアになった。
彼女はテニスは素人だったが、バトミントンをしていたので勘はよかった。
前衛において、ボレーだけをねらわせた。
運良く優勝した。
祝勝会の夜、みんなでしこたま飲んで、カラオケ終えて、いつのまにか二人だけになった。
歩いていくとラブホがあった。
酔った勢いもあってはいろうかというと意外にも頷いた。
裸にすると白い肌だったが胸は貧乳だった。
毛も薄かった。
前戯であそこを指でさぐると、いつもと違う感覚だった。
なんと処女だった。
いざ、いれようとすると、酔っていたのと処女への責任感で萎えたままで、あせればあせるほどだめだった。
惨めな気持で、その夜はタクシーに彼女を乗せて帰した。
会社ではそしらぬ顔をしていた彼女とあった。
冬になった。
スキー大会があった。
事前に彼女を指導した。
早めにコーチをおえて、ラブホのそばを通ってはいろうかというと頷いた。
今度はうまくいった。
痛がったがけなげに耐えた。
血も出た。
それからは二人でスキーにでかけては、帰りにラブホへ寄った。
半年ほどたった夏のある日、彼女のロッカーに落書きがあった。
私と彼女との相合い傘だった。
どうやら、ラブホへの入りを社の女性のだれかに見られたらしい。
女の陰湿ないじめがはじまった。
彼女への無言電話もあったらしい。
たちまち彼女の顔から笑顔が消えた。
不倫の罪悪感といじめで、とうとう神経症になって、出社できなくなった。
療養をつづけていたが、やがて、退社していった。
それ以来、便りが途絶えていたのだった。
3月に姓が変わりますというものだった。
その前に逢いたいとの添え書きがあった。
でも逢わないほうがいいように思ってる。
3日は22歳の女子大生、4日は26歳の若妻と姫はじめをして今日から真面目に仕事はじめだった。